大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

新潟地方裁判所 昭和48年(ワ)151号 判決

原告 大和土地株式会社

右代表者代表取締役 間英太郎

右訴訟代理人弁護士 平沢啓吉

被告 市島酒造株式会社

右代表者代表取締役 市島眞平

〈ほか八名〉

右各被告ら訴訟代理人弁護士 坂東克彦

主文

一、原告に対し、被告市島酒造株式会社は金四八六万円、被告市島成子は金一七五万二〇〇〇円、被告市島眞平、被告市島圀子、被告二宮葉子、被告市島理人、被告市島彌生、被告市島信之、被告市島順子はいずれも各金五〇万〇五七〇円およびいずれもこれに対する昭和四八年五月一三日より各支払ずみまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

四、この判決は仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1、主文と同旨

2、訴訟費用は被告らの負担とする。

3、仮執行宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

1、原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

2、訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1、原告は宅地建物取引業法による新潟県知事の免許を受け、宅地建物取引の仲介を業とする会社である。

2、原告は、昭和四七年四月二四日、被告市島酒造株式会社(以下被告会社という)より、同社所有の別紙目録(一)記載建物(以下本件建物という)を、市島長松(当初被告市島長松以下亡長松と云う)より、同人所有の別紙目録(二)記載土地(以下本件土地という)を、売却する旨の依頼を受け、原告が、右各物件を売却すれば、いずれも社団法人新潟県宅地建物取引業協会報酬規定(取引金額二〇〇万円以下の金額についてはその五分、二〇〇万円をこえる四〇〇万円以下の金額については、その四分、四〇〇万円をこえる金額については三分)に基づく報酬を被告会社及び亡長松は、原告に支払う旨の前記各物件売買についての仲介委託契約を締結した。

3、そこで、原告は、右約旨に従い、訴外株式会社協和との間で売買交渉を重ね、昭和四八年一月二〇日には、右訴外会社との間で、本件建物については金八一〇〇万円、本件土地については八七六〇万円、代金支払は同年一月末日という内容で売却する旨の合意をし、あとは、同年一月二五日、本件各物件上に存する担保権の残存被担保債権額を銀行の残高証明により確認のうえ、売買契約書を作成し、最終的に契約を成立させるに至る状態になっていた。

4、ところが被告会社、及び亡長松は、右の事実を知りながら、昭和四八年一月二一日ころ、本件各物件を、原告を介せず直接訴外丸紅株式会社に売却譲渡し、所有権移転登記も完了して、原告の仲介した右売買契約の発効・及び履行を不能ならしめ、もって前記報酬契約の条件の成就を不能ならしめた。

5、原告は、被告らに対し、前記報酬規定に基づいて、訴外協和、被告会社、亡長松に対し、約定報酬を請求し得る期待権を有していたものであるが、被告会社、亡長松は、右停止条件の成就を故意に妨げて不能ならしめ、これを侵害したものであるから原告は、被告会社との関係においては、片方に対する請求報酬額二四九万円の双方合計分四九八万円と、亡長松との関係では、片方に対する請求報酬額二六八万八〇〇〇円の双方合計額五三七万六〇〇〇円の各損害を蒙った。

6、亡長松は、昭和五一年七月二四日死亡し、亡長松の妻である被告市島成子、亡長松の子である被告市島眞平、同市島圀子、同二宮葉子、同市島理人、同市島彌生、同市島信之、同市島順子が亡長松の債務を相続により承継した。

7、よって、原告は不法行為に基づく損害賠償として被告会社に対し金四九八万円、被告市島成子に対し金一七九万二〇〇〇円、同市島眞平、同市島圀子、同二宮葉子、同市島理人、同市島彌生、同市島信之、同市島順子に対し、各金五一万二〇〇〇円及び、これらに対する本件訴状送達の翌日である昭和四八年五月一三日より各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二、請求原因に対する認否

1、請求原因1は認める。

2、請求原因2は否認する。

3、請求原因3のうち、原告が、本件各物件の買受人を訴外協和と定め、被告会社、亡長松に申し入れたことは認めるが、その余は否認する。

4、請求原因4のうち、被告会社、亡長松が各々本件建物、土地につき訴外丸紅との間で、各売買契約を締結したことは認めるが、その余は否認する。右売買契約は昭和四八年三月三一日に成立した。

5、請求原因5は否認する。

6、請求原因6は認める。但し相続は、法定相続分で相続していない。

7、請求原因7は争う。

三、抗弁

1、仮りに本件売買仲介委託契約が昭和四七年四月二四日に成立したとしても、右契約は有効期間を五か月とする旨の合意があり、昭和四七年四月二四日より五か月を経過した同年九月二四日終了したものであり、その後の原告の売買仲介行為について報酬を請求されるいわれはない。

2、仮りに右期限の切れた後においても仲介委託契約があったとしても、昭和四七年一〇月ころから本件各物件について被告らと訴外丸紅との間に売買交渉が直接進められ、昭和四八年三月三一日、両者の間に売買契約が成立したものであるが、原告と被告ら間の本件売買仲介委託契約は被告会社、亡長松と訴外丸紅との各売買契約の不成立を停止条件とする約であったものであるから、前記の如く、被告らと訴外丸紅との間において直接売買契約が成立したことにより、原告との本件契約は、効力が発生するに由ないものである。

四、抗弁に対する原告の認否

1、抗弁1のうち、有効期間五か月とした合意は認めるが、その効果は争う。「五か月」とは、当事者間の一応の目安であり、拘束力はない。しかも、被告らは、五か月経過後の原告の仲介に対して異議を述べないどころか、却って種々協力している。

2、抗弁2のうち、被告らと訴外丸紅との間に本件各物件につき売買契約の成立したことは認めるが、その成立月日、及びその余の事実は否認する。

第三、証拠《省略》

理由

一、原告が、宅地業法による新潟県知事の免許を受けた宅地建物取引の仲介を業とする会社であること、亡長松が、昭和五一年七月四日死亡したこと及び原告主張の如き人達が相続したことについては当事者間に争いがない。

二、まず、原・被告ら間に本件各物件について売買仲介委託契約の存否について考察する。

《証拠省略》によれば、亡長松は、被告会社の代表取締役であり、王紋名下で酒造業を本業とし、かたわらホテル経営をなしていたが、原告は昭和四六年春ころ亡長松より同人所有の大門ビルの売却のあっせんを依頼され、買い手を探したが、同ビルの賃貸借関係に不明な点があって、売却あっせんの中止を余儀なくされたこともあって、その後昭和四六年九月ころ右のように原告に迷惑をかけた穴埋めの意味と本業と副業のホテル(本件建物はサボイホテルと称するホテルである)経営との両立は困難である、ということから、本件各物件の売却を原告に依頼し、その際、本件建物の登記申請書、建物図面、建物平面図等を原告会社に交付していること。

そして原告会社は本件各物件の売却を進めるべく、自己の取引先でもある戸田建設、清水建設あるいは、清水建設を通して丸紅株式会社新潟支店にも交渉を重ね、昭和四六年秋ころには丸紅の新潟支店長奥田重雄、清水建設の高橋武夫を現地に案内して検分せしめ、その際市島成子も案内していること、同年一一月か一二月ころには丸紅を交渉(仲介)相手の中心として、本件建物をみせたりしたが、昭和四七年二月二四日の時点では買い手は決まらず、そこで戸田建設、清水建設以外にも買い手を広げ東京方面の業者にも買い手を求めんとして右同日亡長松より本件各物件の売却に関して、作成日付のない依頼状の交付を受け、後日にいたって、原告が作成日付を四月二四日と記載したものであることが認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

そして右認定によれば遅くとも昭和四七年二月二四日、原告と亡長松との間に被告会社と亡長松の各所有する本件各物件の売買仲介委託契約が成立したことが明らかである。

三、次に本件物件の仲介関係について考察する。

原告が訴外株式会社協和を買受人と定め、その旨、被告会社・亡長松に申し入れしたことは当事者間に争いがない。

ところで昭和四七年四月二四日迄の仲介関係については前示認定したところであるが、《証拠省略》を総合すれば、

(一)  原告が亡長松より依頼状を受けた後の、売買交渉の主たる相手方は、清水建設を通じて、本件物件の取得に関心を抱いた訴外丸紅であり、訴外丸紅は本件建物を崩して本件土地上にマンションを建設する計画を立てていたが、そのためには本件土地はL字形で変形であるということで、訴外皆川外二、三名が各所有する隣接地を買収したいと考え、清水建設の高橋営業部長を通して原告に右隣接土地の買収工作に当たらせ、それには右高橋、亡長松も参加、協力したが隣接地所有者の拒絶にあって買収工作は失敗に終って丸紅もいったんは本件物件の買い受けを中止したこと、

(二)  そのあと、昭和四八年一月八日頃に至り訴外丸紅新潟支店長奥田重雄は、本件建物、土地を買収してマンション建設計画を進めるため皆川外二、三名が各所有する隣接地の買収工作を清水建設の柳営業課長に依頼し、右柳は原告と、亡長松をして交渉に当たらせたがその結果皆川外二、三名の買収工作がうまくゆかず、同年一月一九日、清水建設上杉所長、右柳、及び原告会社代表者本人は訴外丸紅新潟支店を訪れ、支店長奥田に買収の経過を報告し、その際、原告会社代表者は被告会社・亡長松と訴外協和との間で、本件物件売買契約の成立が間近いことを話していること、

(三)  他方昭和四七年一二月中旬、原告会社に出入りしている訴外吉田正治に、原告会社が本件物件売買の依頼状をみせたところ訴外協和を紹介し、同社の専務取締役飯島八郎をつれてきたので、原告会社は訴外協和を買い手として仲介を進め、昭和四七年一〇月下旬ころ、訴外飯島は原告会社を訪れ、そのあと飯島は亡長松とともに本件建物に案内したこと、その日、亡長松は売却希望価格を一億八千万円と呈示したが、飯島は一億六千万円を買受希望価格として呈示したこと、

そして翌昭和四八年一月一一日ころ訴外飯島と亡長松、被告成子、同眞平は原告会社で会ったが先に両者間で希望価格に相当の開きがあったので原告会社は両者の間に入って仲介を重ね、同年一月一九日、亡長松と訴外飯島との間で、原告会社の仲介で、訴外協和が被告会社・亡長松に合わせて裏金を三〇〇〇万円出し、それで被告会社・亡長松の税金面での損失をカバーできるということで、本件建物について八一〇〇万円、本件土地につき八七六〇万円合計売買価格は一億六八六〇万円で合意し、本契約は同月二五日とすること、頭金は三〇〇〇万円とすること、残金は同月末日までに支払うが、所有権移転登記については、本件物件に訴外新潟相互銀行を担保権者とする極度額一億二〇〇〇万円の根抵当権が設定されていたことから、被告会社・亡長松において残高証明書を同月二五日迄に揃え、右担保の抹消は、訴外協和が、被告会社・亡長松に売買代金を支払って行なう旨の合意が成立したが、亡長松側から、原告会社に、訴外協和との間の売買の対象から、土蔵と銘石二個を除外して欲しい旨の申し入れがあり、翌二〇日、亡長松、被告市島成子、同市島眞平と飯島が原告会社に会し、交渉した結果前記要求の土蔵・銘石を除外することに合意したこと、この時点では、残すところ残高証明が明らかになれば、いつでも本契約ができる状態であったこと、飯島は約旨にしたがって一月二五日、頭金三〇〇〇万円の支払準備をして、原告会社を訪れていること、

(四)  しかるに被告会社・亡長松は、原告会社の仲介行為の経過を知りながら、本件価格より一〇〇〇万円高い価格で訴外丸紅に売却できるということから、ほぼ時を移さずして原告会社に内密に直接訴外丸紅との間で売買契約を締結し、かつ所有権移転登記を完了したものであることを認めることができる。

もっとも《証拠省略》中に訴外丸紅と被告会社・亡長松との間の売買契約は、昭和四七年一〇月ころ、代金額も事実上決定していたものであり、正式には、昭和四八年三月三一日売買契約を締結したものであると被告ら主張に副う供述部分があるが前掲各証拠及び本件弁論全趣旨に照らし、にわかに措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四、そこで進んで被告らは既に本件売買仲介委託契約は終了していると主張するのでこれについて判断する。

右契約の有効期間を五か月とする旨の合意があったことについては当事者間に争いがなく、《証拠省略》中には、右期間の満了により契約は終了したとの被告ら主張に副う部分があり、成立に争いのない甲第一号証の依頼状にも有効期間向こう五か月間との記載があるが、前に認定した如く、被告会社・亡長松は五か月を経た後も、本件各物件の売却に関して、原告会社を介して訴外協和との売買交渉に全く異議を述べることなく度々臨んでいること、また原告会社とともに訴外丸紅の隣接地買収工作に協力していることは明らかであり、従前からの原告と被告らとの間の関係を合わせ考えると、右の有効期間は、確定的期間ではなく、当事者間の一応の目安に過ぎないものであり、期間経過後も引続き本件各物件についての仲介委託契約は、更新されていたものと認めるのが相当であるので、前掲各証拠で本件売買仲介委託契約は五か月経過とともに終了したものと認めるには躊躇せざるを得ないところである。従ってこの点に関する被告らの主張は採用しない。

五、また、被告会社及び被告らは本件売買仲介委託契約には被告会社・亡長松と訴外丸紅との各売買契約の不成立を停止条件とする旨の約束があった。と主張し、《証拠省略》中右主張に副う部分はあるけれども、前記認定の諸事情に照らし直ちに措信できないのみならず、他に右主張を認めるに足る資料のない本件にあっては、右被告らの主張もまた採用しえない。

その他に、本件売買仲介委託契約が解除、その他の理由によって全く消滅していたことに何らの主張がないから、当時、右委託関係はなお存続していたものと認めなければならない。

六、そこで次に仲介委託契約の存続中に依頼者が仲介業者の仲介を排除して直接取引をした場合の報酬支払関係について考えるに、仲介業者がすでに仲介行為に着手し、買受希望者に物件を紹介し、売却依頼者に買手を引き合わせて売買契約交渉を進め、間もなく仲介による売買契約が成立するに至る状態にあり、しかも、直接なされた契約の成立時期が業者の仲介活動の時期に近接し、買受け価額が業者を仲介者として下相談した価額を僅かに(多少)上回る等の事情のある時は、売却人は、業者の仲介によって間もなく売買契約が成立するに至るべきことを熟知して故意に、仲介による契約の成立を妨げたものと考えるのが相当であり、もし、仲介業者の仲介を排除して直接取引することを認めると仲介業者は報酬請求の機会を一方的に奪われることになり不当であるから、仲介業者の仲介を排除する正当な理由がある場合は格別しからざる場合には、仲介業者は右仲介行為と直接取引との間に因果関係が認められる限り、報酬を請求しうる期待権を侵害されたものとして、民法七〇九条による損害賠償を請求できるものと考えるを相当とする。

これを本件の場合についてみるに、被告会社・亡長松は原告会社を通して、はじめて訴外協和を買手として知ったものであるから、原告会社は右両者間の本件物件売買についての機会を与えたうえ、本契約の成立に至るべき段階までに達していたと認むべきところ、被告会社・亡長松において原告の仲介を排除して直接取引をなすことについて正当な理由はなかったこと、原告会社の仲介行為と直接取引の間に因果関係があること、故意に停止条件の成就を妨げたことは、すでに認定した本件仲介関係の経緯及び特に直接取引が仲介による契約が成立するに至る直近になされた点よりみて明らかであり、これにより原告は、期待権を侵害されたものと認めななければならない。

七、そこで進んで被告らが原告に支払うべき賠償額について考えるに、《証拠省略》によれば、社団法人新潟県宅地建物取引業協会報酬規定では、売買にあっては、取引価額四〇〇万円をこえる金額についてはその一〇〇分の三の割合による金員を売主・買主の双方から、各同額報酬として支払いを受ける旨定めており、《証拠省略》によれば、報酬は報酬規定にもとづいて定める意思であったことを認めることができるから被告会社は売買代金八一〇〇万円の本件建物の取引につき金二四三万円を亡長松は売買代金八七六〇万円の本件土地の取引につき金二六二万八〇〇〇円を原告に対して報酬として各支払うべき義務があるところ、原告は報酬として訴外協和にも右各同額の報酬を請求しうる期待権を有していたものであるから、結局被告会社は原告に対して金四八六万円、亡長松は原告に対して金五二五万六〇〇〇円を損害賠償する義務がある。

ところで右長松が昭和五一年七月二四日死亡し、被告会社(市島酒造)を除くその余の被告らにおいてその遺産を相続したことは前述のとおりであり、共同相続人間において法定相続分と異なる分割を定め、あるいは被相続人において、法定相続分と異なる相続分を指定したとしても、債務も右に応じて各共同相続人に分割されるものではないから、亡長松の債務は法定相続分に従って被告ら共同相続人に承継され、結局被告市島成子(妻)は金一七五万二〇〇〇円を、その余の共同相続人である被告ら(子)は各金五〇万〇五七〇円を支払うべきことになること明らかである。

そうすると原告の本訴請求は被告会社及び被告らに対し右各金員及びこれらに対する本件訴状送達の翌日である昭和四八年五月一三日より各支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

八、よって、原告の本訴請求は、右の限度で正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九三条一項、第八九条、第九二条を、仮執行宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山中紀行)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例